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愛知県で一番最初に開通した鉄道、知多半島の東部を走る武豊線です。
武豊線は明治19年(1886年)3月1日に中山道線建設資材運搬用路線として開通しました。当時は中山道支線半田線と呼ばれていました。その後、中山道線は東海道に経路が変更され、明治22年(1889年)東海道線が全線開通、大府〜武豊間が武豊線と呼ばれるようになりました。建設の経緯から東海道線開通後は廃止される予定でしたが、地元の反対により存続が決まりました。
大正時代には師崎まで路線を延長する計画も立てられましたが、実現には至りませんでした。
昭和8年(1933年)に武豊線の旅客列車は全列車キハ41000型ガソリンカ気動車に置き換えられました。昭和12年(1937年)にはキハ43000型電気式ディーゼル気動車も運転されましたが、その後戦争が激しくなり燃料不足から昭和19年(1944年)蒸気機関車けん引に変わりました。
昭和30年から旅客列車の一部が気動車に変わりました。昭和33年(1958年)9月20日に全列車気動車化されました。
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国鉄分割民営化後、JR東海はキハ85・キハ11・キハ75を投入して非電化線区の車両を更新していきました。
しかし、武豊線には新型車両は投入されず、国鉄型のキハ58系、キハ40系が使用され続けました。
1999年武豊線にも新型車両、キハ75が新製投入されました。
電車並みの性能を活かして名古屋直通列車が増発されました。
*このページにはキハ58・キハ35の写真と同一地点で撮影した写真があります。
年月の経過による背景の変化などを見ていただくのも、よろしいかと思います。
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