2005/2/3 新規開設
2005/12/10 写真追加

武豊線 キハ75系

 愛知県で一番最初に開通した鉄道、知多半島の東部を走る武豊線です。
 
 武豊線は明治19年(1886年)3月1日に中山道線建設資材運搬用路線として開通しました。当時は中山道支線半田線と呼ばれていました。その後、中山道線は東海道に経路が変更され、明治22年(1889年)東海道線が全線開通、大府〜武豊間が武豊線と呼ばれるようになりました。建設の経緯から東海道線開通後は廃止される予定でしたが、地元の反対により存続が決まりました。
大正時代には師崎まで路線を延長する計画も立てられましたが、実現には至りませんでした。
 
 昭和8年(1933年)に武豊線の旅客列車は全列車キハ41000型ガソリンカ気動車に置き換えられました。昭和12年(1937年)にはキハ43000型電気式ディーゼル気動車も運転されましたが、その後戦争が激しくなり燃料不足から昭和19年(1944年)蒸気機関車けん引に変わりました。
昭和30年から旅客列車の一部が気動車に変わりました。昭和33年(1958年)9月20日に全列車気動車化されました。
国鉄分割民営化後、JR東海はキハ85・キハ11・キハ75を投入して非電化線区の車両を更新していきました。
しかし、武豊線には新型車両は投入されず、国鉄型のキハ58系、キハ40系が使用され続けました。
1999年武豊線にも新型車両、キハ75が新製投入されました。
電車並みの性能を活かして名古屋直通列車が増発されました。
 
*このページにはキハ58・キハ35の写真と同一地点で撮影した写真があります。
 年月の経過による背景の変化などを見ていただくのも、よろしいかと思います。
 
1999/8/29 大府〜尾張森岡
1999/8/29 大府〜尾張森岡

武豊線のハイライト、石ヶ瀬川橋梁を行く大府行きです。
南方貨物線建設に伴い旅客列車の線路切り替えが行われ、新橋梁が建設されました。
将来の輸送力増強を想定して複線用の橋脚で建設されています。
 
ある掲示板でこの橋梁の区間は「空を飛んでいる感覚がする。」との書込みがありました。下から見上げるとそんなに高くないのですが、列車に乗っているときはものすごく高い所を走っている感じがします。

1999/9/5 亀崎駅
1999/9/5 亀崎駅

亀崎駅に進入する武豊行きです。
東浦駅から亀崎駅にかけての区間は20‰の上り勾配になっており、SL時代は乗務員泣かせの区間だったそうです。

2004/4/29 乙川〜半田
2004/4/29 乙川〜半田

阿久比川橋梁を行く列車。
明治時代の橋梁が現役です。

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更新履歴

参考文献
・武豊線100年のあゆみ (1986年 半田市博物館発行)
・武豊線物語 (2003年発行 河合由平、C11 265機関車保存会、半田市、半田市教育委員会)

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